天塚財閥

I wanna be the very best like no one ever was

youtuber、ブロガーついて 差別と偏見の違いとは何か

差別とは、不当なる分け隔てのことだ
キング牧師の言葉を借りれば、肌の色ではなく人柄“charactor”で判断されるということ
生まれ持った、生来のもの。生来の気質。そういったものだけで人が判別されることはあってはならない
なぜなら、そうした性質を持っているということそのものは、その人自身の罪でもなれけば、責任でもない。自分で選んだわけではないのだから
一方でそうした生まれ持ったもののほかに、成長とともに育まれ、獲得していくものもある。
端的なものとしては、職業がそれにあたる。今は江戸時代じゃないから自分の努力次第では、ある程度自分が望む業界に
属することができるようになった。が、人という生き物は特定職業に対しての様々なイメージや偏見といったものはあるものである
ここで思うのは、職業それそのものは、もちろん自己の能力や家庭の金銭的事情もあるものの
その範囲において自分が選んだものなのではないかということだ。その選択において同時に発生するのは、責任である
国籍にも人種にも、それに伴う責任なんかあるはずがない。自分が選んでそれに生まれ落ちたわけではないから
だが職業は違う。自分で選んだ。それによって被る理不尽は、差別というよりは、むしろ偏見という言葉のほうが適当なのではないだろうか

youtuberだとかブロガーとか、生まれて間もない職業だ。新しいものに対しての、人々の印象というのは、持て囃すか拒絶するか大体2つに別れる
新しい概念を知った瞬間から、それのイメージのインデックスのどれに分別をするかという選択を迫れれる。
それがたまに、疲れるのである、人間という生き物は。
この認知能力が低いと日本人は善で韓国人はすべからず悪という二項対立の勧善懲悪とした世界観が出来上がってしまう
これらを踏まえて言いたいこと、それは
youtuberもブロガーも現代の河原乞食だ!これは階級闘争なんだよ!?
ブロガーとして名を馳せている何某とか何某とかは、色物がすぎるね!そういう輩に、この業界を任せておけない
いつだって、被差別の歴史には、その地位を引き上げる英雄たちがいたし、僕はそうしたストーリーが本当に大好きだったツ!
なりたいものになれるという神話に乗っかる。そしてそれに伴う時間と労力と情熱とを無駄と思うわない。たとえ結果が伴わなかったとしても。
僕は、人が言葉と行動から連なる人柄でもって判断される世界を担っていくというストーリーに乗っかることをここに明記し、天塚右京がこの瞬間をもって復活したことを高らかに宣言するものである!

被差別部落一千年史 (岩波文庫)

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キング牧師―人種の平等と人間愛を求めて (岩波ジュニア新書)

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